2014年4月8日

週刊MDS新聞に記載されました

私たちの活動が週刊MDS新聞に取り上げられました。






















引用:http://www.mdsweb.jp/doc/1324/1324_45k.html
2014年04月04日発行 1324号
【放射能から逃れて暮らしたい 原発避難者「安心できる住まいを」 東京都に住宅要求】
 福島県から東京都内の都営住宅などに避難している人たちでつくる「キビタキの会」は3月19日、都に「故郷に安心して帰れるまでの間、やっと慣れた今の住まいに住み続けたい」と要望した(キビタキは福島県の県鳥)。
住宅の継続確保を
 福島から都内への避難者のうち、現在2889人が都営住宅などの公的住宅に、782人が民間借り上げ住宅に暮らす。入居期間は特例として来年3月末まで延長され、同年4月以降は「代替的な住宅の確保等の状況を踏まえ適切に対応」とされている。
 都の都内避難者支援課から今年2月送られてきたアンケートには、「今の住宅に住み続けたい」という回答の選択肢がなく、避難者の間に困惑と不安が広がっていた。
 キビタキの会メンバーらは都内避難者支援課の職員と面会し、住宅の継続確保を要求。都側は「期限が来たから追い出すようなことはしない」と回答したという。
 要望後、記者会見した避難者からは、故郷を奪われた怒りと、放射能に汚染された土地には帰還せず避難先で安定した生活を築きたいとの願いが口々に語られた。
 いわき市から千代田区に避難した鴨下祐也さんは「もう動かされないぞ、という気持ちだ。小学校6年になる長男は1年間に3回転校した。お別れ会もなく、突然学校が変わる。せめて子どもが高校を卒業するまで、住居としての安定を確保してほしい」。
 問題は住宅の延長だけではない、と話すのは、福島市から武蔵野市に避難した岡田めぐみさん。「今までは親戚を泊りがけで呼べる家だったのに、2DKや1DKに。避難者同士つながっていない。声を上げられない。区域内区域外にかかわらずみんなで力を合わせようと会をつくった」
高線量では帰れない
 川内村を“終(つい)の棲家(すみか)”に選んだ川井弘子さんは震災6日目に強制避難となり、14時間かけて東京へ。村から通知が来て除染に立ち会った。「13年かけて植えたハーブを全部削り取られた。植物に申し訳ない」と涙ぐむ。「村は帰ってこいと言うが、線量は室内の一番少ない所でも年5mSv。帰れない。除染しても、今の原発の状態を見ると、変わらない気がする」
 「国始まって以来のバラバラ事件」と憤るのは、全村避難した葛尾村の小島ヤス子さん。「刀を使わず、精神的にも肉体的にも友達関係も親子関係もみんなバラバラ。隣の田村市都路地区は、汚染袋がずらーっと並ぶ中、帰れの命令が出ている。国民の体をどう思っているのか。国も県も信用できない。子ども・被災者支援法ができたが枠だけ。中身をきちんとつくるよう都が働きかけてほしい」
 福島市から避難したキビタキの会会長の寺島暁さんは「子どもが成長する上で、また引っ越しかという不安が強い。今後も横の連絡を取り合い、話し合って、不安を解消していきたい」と語った。