2014年7月11日

【復興支援住宅は、なぜ福島県内に建てるのか?】6月9日院内集会報告⑸

キビタキの会では、原発事故避難者の安定的な居住を求める政府(復興庁、内閣府、国交省)との懇談会を、2014年6月9日(月)参議院会館 B103会議室にて行ないました。
江戸川区に避難している子育て中ママYさんの発言模様を、速記録から紹介します。

避難者:福島県いわき市より自主避難で、東京都江戸川区に来ています。今の都営住宅は6カ所目の避難先になっていて、娘も原発事故が起きた時はまだ10ヶ月の小さなお赤ちゃんでした。
すみません、今日遅くなってしまったんですが、娘が調子悪くて、通院させてからこちらの方に来たので、保育園もお休みさて来たので。
原発当初、2011年3月11日に震災が起きて、私たちが避難したのは3月14日。福島原発の3号機が爆発した時です。その時は福島県いわき市、原発から40キロほど離れているところで、30キロ圏内の人は避難してくださいという事で、テレビとかではただちに人体には影響ないって言われていましたけれども、30キロと40キロって壁がある訳でもなく、水は流れてきて、風も吹いているのにどこが安全なんだろうってすごく思ったんですが、そういう時に、もうやばいから逃げなくちゃ行けないという感覚的な感じで娘を連れて主人と福島を出ました。
その後で避難していく中で、原発に対して勉強というか、自分達でも知識を付けなきゃいけないとい思っている中で、比較するのがチェルノブイリの事故だと思うんですけれども、あの事故で小さな子供達、妊婦さんとかにすごく大きな影響が出ているという事と、原発事故後28年も経っていますが、今生まれてくる子供たちも、ある病院では出生率2%しか通常の子供が生まれていなくて、チェルノブイリから150キロ程離れている地域だったんですけれども、そこでインタビュー受けていたお母さんが25歳(3年前当時)くらいで、赤ちゃんとかの頃にチェルノブイリの事故があったという事で、ちょうど自分の娘と比較できるくらいの方だったんですけど、その人が障害をもったこどもをやっぱり出産して、「なんで自分たちはそこに住んでいたんだろう」って。「分からないで住んでいた」って。
子供を守るのは親しかいないので、長期になってきてますけど、この子が大人になって子供を生む事になったときに、何の問題もなく出産して家庭を持って欲しいと思うので、とにかく子供を守りたいという事だけで、今の避難生活を続けてきています。
避難生活ってすごい、色々我慢しなければいけない事もあるし、つらい事もたくさんあるんですけど、もちろん子供の健康が第一だし、今の福島県を見ているととても帰れると思える環境ではないと思うんですね。今ではメディアの報道なんかを聞くと、実はこうでした、とか、実はこういう状況ですとか、収束しているとはとても思えないという所の小さな子供を連れて帰って、子供が健康に育つかっていうのもすごく疑問に思う事もあるので、私はできれば、本当は福島に帰って、親戚もみんないるので、帰りたい気持ち派強いですけれども、安全な環境で子育てをしたいという気持ちも強いので、福島から離れた所で子育てをしたいと思っています。

やっぱり住宅の無償で長期的な提供という事はそれに対してものすごく大きな問題。私は主人がいわきにもどって、二重生活をしているので、ダブルで家賃を払わなきゃいけない。正直主人の給料だと向こうの生活費で終わってしまうんですね。で、東京に来る時に、高速道路は無償化して頂いているんですけれども、ガソリン代がかかるとか、水道代とか光熱費も二重にかかってきて。主人は私がいれば私が作ったものを食べれるんですけれども、男性の一人暮らしなのでなかなか夜まで仕事して、自分で作ってって自炊なんかもできないのでやっぱり買ってきて。それでもやっぱり生活費というのがかかってくるので、毎月貯金を切り崩しながら生活しています。
私も働いていた時期もあったんですが、すごく色んな負荷が自分にかかってきたりとかして、今は病院に行って、お薬もらっているんですけれども、電車に乗れなかったり、人のいる場にこうやって、先ほどおっしゃっていたかたもいましたが、出れないときっていうのもすごくあって、今もお薬もらいながら生活していて。なので、働くっていう事が少し困難で。
なので、貯金を切り崩しながら生活しているんですけれども、貯金もいつか底をつき、あと8ヶ月がうちは限界なんですね。なので、どうしようかと思っているんですけども。そこで住宅も打ち切られ、じゃあ出てきなさいなり、自分たちで探しないと言われても。
東京にいる意味っていうのは、主人が来れるから東京なんです。本当はもっと遠くの所にいたいんですけれども、家族で会えるのも大切にしたいから東京なんです。別に東京にいたい訳ではないんです。でも東京ってすごく高くて。
最悪帰らなくてはいけない状況にいて、主人も仕事を辞めて、娘や家族といたいので、18年している仕事を辞めて、どうしようかという、家族のそういう話したいとかもしながら今います。

ながくなってきたんですけども、私すごく疑問に思う事がたくさんあって。復興公営住宅って今建ててると思うんですけれども、なんで福島県内に建ててるんでしょう?
福島県内から避難している方なり、自主避難で福島県をあえて出てきている、福島県は安全じゃないと思ってあえて出てきている方をなぜ復興公営住宅を福島県内に建てて、なぜ福島県内に戻そうとしなければいけないのか、そこがものすごく疑問なんです。
あと、先ほどもご説明して頂いている中で、福島県と相談して、って。住宅の延長だったりとか、なんなりに対しても、福島県と相談して、各自治体と相談してってお話が出てきたと思うんですけど。
私も原発事故って国の問題だと思うんです。県の問題ではなくて、たまたま福島県で原発事故が起きただけであって、福島県からの要望がなければ、という国の回答はおかしいと思うんですね。
復興庁さんにもお電話させて頂きましたし、色んなところにお電話させていただいて、私も入居当時娘がまだ1歳になったばっかりで、一人扱いして頂けなくて、私が住んでいるのが、1DK。1DKといっても、6畳と4畳くらいのキッチンがあるだけで、寝る部屋と生活するスペースだけ。なんとか家族で一緒に住みたいから、とか。子供もどんどん大きくなってくると手狭になってきて移動できない関係で色々お電話したりとかしたんですけど、そういうところでも、たらい回しにされますし、福島県から要望がないとできないとか言われるんですけれども、福島県からの要望がなくても、国からこういう風にしましょうよって方針を出してくれないのかなってすごく疑問に思います。

最後もう一点。災害救助法で、延長に対しては1年という事が色々決まっているという事は聞いているんですけれども、方針をだす事は法律的に期限を出す事は1年単位でしかできないという事は法律で決まっているそうなので、仕方ないんですけれども。じゃあこうして行きましょうって。長期の無償化もこういう人にはして行きましょうっていう、新規の、福島県からの受け入れというのが平成24年12月で打ち切られているんですけれども、これも疑問に思うんですが。先ほどの住宅に入れないという問題もそういった期限をもうけてしまっているからいけないと思うんです。
今福島県の問題ってどんどん大きくなってしまっていて、違ったふうに、終わっていないので、変わりながら物事が進んでいると思うので、今出たいと思っている方すごく多いと思うんですけれども。避難したいっていう気持ちがあったり、また、そういう人って子供を守りたいという気持ちが一番だと思うんですけれども、そういう思いを持っている人にどうか、頼れるなにかの一筋の縄がないと、なかなか思い切って出れなかったりすると思うので、そういうのもふまえて、より安全に、安心して、子供たちが生活できる場と環境を考えてそういうのを出して頂きたいなと思いました。


司会者:ありがとうございます。ちょっと後時間が短くなったので、このあとは手短かにそれぞれ、せっかくですからお話頂いて、最後にお答えをというような形にして、避難者の方どうぞお話ください。