2014年7月10日

【避難しても、住宅が実情にあわない】6月9日院内集会報告⑷

キビタキの会では、原発事故避難者の安定的な居住を求める政府(復興庁、内閣府、国交省)との懇談会を、2014年6月9日(月)参議院会館 B103会議室にて行ないました。
いわき市から避難中である1児のママJさんの発言模様を、速記録から紹介します。

避難者:私は福島県いわき市から避難してきたんですけれども、原発事故がなかったら避難していません。
原発事故があった日、家族でいわきを出たんですが、私と主人と、当時7か月の娘と私の母と4人で、いわきで生活していたんですが、原発事故があってとりあえず娘を守らなきゃということで茨城県の兄の家に移りました。そこから、ずっとお世話になっているわけにもいかないので、住めるところを探し、都営住宅に当選させてもらったのでその年の4月から家族で住んでいるんですけれども。大人3人と子供一人で。
ここに書いてある2番の例が私なのですが、1LDKくらいの広さのところに入れられて、当初からずっと問い合わせはしていたんですね。どこに問い合わせればいいかわからなかったのですが、住宅管理とかにお電話したりして、間取りの変更はできないのかとか、どうしてここに入れたんですかという事を聞いたんですけれども、災害救助法だとマニュアル的なことばかり言われて、具体的な解決策というのはいただけなかったのですが、その災害救助法の規定によると、一人当たり1.5畳か2畳くらいの広さで十分だと言われたんですね。で、本当に狭くて、冷蔵庫も置けない。台所に入らなくて部屋に置いてあるんです。収納もありませんから、大人3人と子供1人と布団を置く場所もないので、部屋の中に布団が置いてあって、そうすると生活するスペースがもっともっと狭くなって、窮屈で・・・。

いろんなストレスがあるのに、部屋の狭さという余計なストレスがかかりまして、母親は73歳なのですが、部屋が狭いという事が一つの理由で福島県の方にかえってしまったんです。73歳という事でむこうに部屋を借りて入れてもらったんですけれども、いわきの方も部屋が余ってませんので、今住んでいるのは、学生向けの4畳半くらいの部屋に住んでいるんですけれども。復興住宅の公募、今回もやりました。前回もやって落ちてしまって、今回も落ちると思います。
ポイント制でポイントが高い順に入れられるようになっているみたいなんですが、いわきは避難区域内の住民の方が多いので、そういう人たちが優先的に入りますから、私たちのような人は省かれていってしまうというか、ポイントが低くなってしまうので、今回も落ちると思います。第3回目はもうないという事をいわれたそうです。
第3回目がないという事は、住みたくないところに家賃を払ってすむという事になってしまいますし、もともと一緒に住んでいたので私たちは一緒に住みたい。一緒に住みたいんですが、原発事故が収束していないので、いわきには戻れませんし、こちらに呼ぶといっても部屋が狭くて呼べませんのでどうしていいかわからない状態。

73歳の母をそのまま放っておくわけにはいきませんし。あと1年ずつの更新というのは、先が見えなくてとても残酷なので、その辺の長期的なというところをもっと具体的に言っていただければと思いますし、部屋の間取り、私の話しかできませんが、たくさんの人が部屋の間取りで困っているという話はききますので、相談窓口にみたいなのを開いていただいて、答えられるのであれば、答えていただきたい。
3年間で状況が変わっているかたもたくさんいますので。部屋の間取りとか場所とかも、そういう相談というか、お話も聞いて頂けたらと思うんですが。


司会者:という訴えもあるんですが、これはどのように対応して頂けるんですか?


政府側:本当にそれぞれ事情が違うのだなという。なかなか国の方で個別の人にこういう風にした方が良いというのが申し上げられなくて申し訳ないんですけれども、狭いという事で、狭さが解消されると良いけれど、そうすると一緒に住みたいというところがと。
都の住宅がどういう状況かっていう事をどうしても私も把握している訳ではないんですけれども、どうしても避難者だけではないですし、限られた都営住宅という資源をどういう風に活用していくかっていう事を、都の方で考えられてこれで十分だという事で提供したのではないと思いますけれども。
期間につきましては、本当に自分の家、それが公共住宅であれ、自宅を再建するのであれ、そこにできるだけ早く住んで頂きたいという。それが叶わないという状況もあると思いますので、そこのせめぎ合いの中で一刻でも早く仮設じゃなくて本来の住宅に住んで頂ける努力をしていかないとと考えています。


司会者:すみませんそちらの方、赤ちゃんと一緒ですけれども、もしお話になりたい事あったらどうぞ。