2018年3月11日

原発事故から7年 これからもご支援お願いいたします

2011年3月11日、東日本大震災と大津波によって起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故。安全神話にだまされ続けた福島県民。突然の発電所の爆発に右往左往し、逃げ出した人々の苦悩は今に続いています。7年を過ぎた今なお、事故は収束の見通しもつかないままです。この事故に大きな責任のある政府・東京電力は、見せかけの除染によって、町や村に避難の解除を出し、被災地の人々の放射能への不安は押しつぶされたように思います。

不幸中の幸いとでも申しましょうか、環境も良い、市民の人たちも良い、この武蔵野市に住めたことは、私の最大の幸運だったと心から思っています。緑町の避難者とともに「キビタキの会」をつくり、大きな声で、政府・福島県・東京都などに、抗議・要望と運動を続けてこられたのも、市議会議員の方も含め多くの市民の皆さまの支援があったからこそと、常々感謝をしています。

全国各地の避難者の方と協力した運動の成果として、自主避難者の住宅支援打ち切りに対し、幼いお子さんのいる世帯、病気がちな方は、同じ緑町都営住宅に住むことができ、ご縁のあった他の方々もそれぞれ都営住宅に入居が決まったことが、あげられます。支援者の方々の大きなお支えがあったからこそと、ひとまず安心を感じました。

しかし、避難者全体を見れば、さまざまな苦悩はこの先々まで続く問題です。これまでご支援いただいた皆さまにあつくお礼を申し上げるとともに、今後とも変わらぬご支援をお寄せくださいますようお願いいたします。

キビタキの会 代表 小島ヤス子(葛尾村から武蔵野市に避難)